高嶺の花 「わたしはお花」の意味。もものお母さんは生花の天才最終回ネタバレ

高嶺の花の番宣でももが

「わたしはお花」

と言う、意味深な場面がありましたが、

それは、ももの亡くなったお母さんの

生花のスタイルだったようです。

 

どうやら、もものお母さんは師範代であり、

素晴らしい才能を持っていたらしいのです。

 

もものお母さんは、

「もう一人の自分」など必要ありませんでした。

 

ただ、月島市松と結婚したことと、

もものお母さんの生花は月島流ではないと

市松に言われたため、

生花をやめたとのこと。

 

それを使用人の金さん、銀さんから聞かされたももは、

「私はお花」と何度もつぶやきながら

花を生けつづけるのですが、

結局これがよく分からん!

 

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そしてももはなぜか一転して、

月島流家元にならずに、新流派を立ち上げると言い出し、

新流派立ち上げを認めてもらうための

「俎上(そじょう)」を行います。

 

その俎上でも、

「私はお花」と、ニコニコしながら、

まるで頭の中がお花畑にでもなったように

花を生けるのです。

 

どうやら「私はお花」流(?)は、

愛する人のことを思いながら、

幸せな気分で生ける生け花のようです。

 

花が太陽に向かって顔を向けるように、

太陽(愛する人)に向かって、

何の邪気もなく咲く花。

 

結果、ももの作品は、

神宮兵馬が「言葉も無い。」と息を呑むほど

素晴らしい作品でした。

 

満場一致で新流派の立ち上げが認められます。

 

月島市松も認めはしたものの、

「これは月島ではない。」

と一言。

 

それに、まだもも一人しかいない

振興の流派で、この先は険しい道であることを

ももに諭します。

 

それでも茨の道を行くというももに

「見事であった。」と

告げる月島の家元。

 

全ての伏線が回収される最終回だと

石原さとみさんがおっしゃっていたそうなので、

最終回だけは期待していたのですが、

正直、わけがわからないまま、

ご都合主義で終わってしまいました。

 

むしろ、「私はお花」のももが、

気が触れた感じで、恐怖すら感じました。

 

さすがに、これを演じている

石原さとみさんが気の毒になりました。

 

ななは龍一を探し出してハッピーエンドという、

ひと昔前の、月9のエンディングのよう。

 

野島伸司・・・もう終わってますね。

 

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